1月11日に話題となったキーワードは 「三億円事件」 です。
NHK特集で何が語られたのか
1968年に東京府中市で起きた三億円事件を、当時の捜査員や目撃者へのインタビュー、新たに見つかった資料で振り返る内容でした。
なぜ検索が急増したのか
有名なモンタージュ写真が「事件と無関係な故人の写真だった」という証言や、誤認逮捕された男性が自ら命を絶っていた事実などが紹介され、さまざまな反響を呼びました。
いま注目される理由
昭和の「伝説の未解決事件」として消費されてきた一方で、警察やメディアの在り方、人権侵害、地方の記憶など現代にも通じるテーマが多く、議論が再燃しました。
半世紀前の事件なのに、今の警察やメディアへのモヤモヤと見事に重なってしまうのがすごいところなのだ。
三億円事件と今回のNHK特集
三億円事件は1968年12月10日、東芝府中工場のボーナスを積んだ現金輸送車が、偽の白バイ隊員に三億円を奪われた事件です。犯人は逮捕されないまま1975年に時効を迎え、日本犯罪史に残る未解決事件になりました。
今回の番組では、現金輸送車と白バイを目撃した当時の女子高生の証言や、初動捜査で見逃された白バイの目撃情報、そして「少年S」「友人A」と呼ばれる有力視された人物たちについて改めて取材していました。
Xで噴き出した三つの怒り
番組放送後の反応を眺めると、特に反応が集まっていたのは「モンタージュ写真」「誤認逮捕と自死」「警察捜査のずさんさ」の三点でした。
まず多かったのが、あの有名な白バイ隊員のモンタージュ写真への衝撃です。事件と全く関係なく、しかも事件前に亡くなっていた男性の顔写真が、そのまま犯人像として使われていたという証言に「知らなかった」「なぜ今も番組で使われているのか」と驚きと怒りの声が相次ぎました。
半世紀前の事件でも、警察とメディアの判断しだいで今も誰かの人生を傷つけ続けているという事実に、やりきれなさを覚える人が多かったようです。
次に目立ったのが、誤認逮捕された男性がその後も中傷に苦しみ、自ら命を絶っていたという点です。「犯人はいないどころか、むしろ被害者が増えていた」「憎しみのない強盗なんて言えない」という感想がいくつも見られました。
そして三つ目が、初動捜査を中心とする警察への批判です。白バイの目撃情報が長年放置されていたことや、多摩地域のバイク乗りが片っ端から事情聴取された話などが紹介され、「昭和だからで片付けられない雑さだ」「今も変われていないのでは」といった不信感が噴き出しました。
「憎しみのない強盗」神話への違和感
三億円事件は、当時から「にくしみのない三億円事件」と語られてきました。保険で補償され、従業員のボーナスも支払われたことから、どこか痛快な犯罪として消費されてきた面があります。
しかし今回の特集への反応を合わせて見ると、そのイメージを疑う声が強くなっています。逮捕もされていない段階で名前や顔が報じられた人、モンタージュに使われた故人、その家族たち。こうした人たちが背負ってきた重さが、具体的な証言とともに語られたからです。
「誰も傷つけていないどころか、警察とメディアが作った二次被害で人が亡くなっている」という指摘は、事件の見え方を大きく変えるポイントでした。
一方で、いまなお「大胆でカッコいい犯人像」に惹かれてしまう気持ちを吐露する投稿もあります。そこに対して「当時はそういう空気が強かった」「好奇心で誰かを傷つけないようにしたい」といった、反省混じりの声も交わされていました。
府中ローカルネタとしての三億円事件
今回特にバズっていたのが、「府中生まれの30〜40代は『親が犯人かもしれない』というネタを一度はやる」というものです。「親の遺品から三億円出てきたらどうする?」「急に聖徳太子の一万円札を使い始めたら察して」といったやりとりが、笑い話として語られていました。
府中では、刑務所や競馬場と並んで「三億円事件」が街のアイコンになっている、という声もあります。現場近くで育った人、当時の聞き込みに家族が応じた人など、地元ならではのエピソードも多く見られました。
地元ならではのブラックジョークと、事件の重さのギャップに戸惑いつつも「街の記憶」として語り継がれているのが印象的なのだ。
こうした「ネタ化」は不謹慎に映る一方で、事件を歴史の出来事として日常の中に置き直す行為でもあります。ただし、冤罪や人権侵害に直結した側面を笑い飛ばさないようにしたい、という慎重な意見も見られました。
物語になり続ける未解決事件
また、三億円事件を題材にした作品への言及も多くありました。映画「初恋」、ドラマ「悪魔のようなあいつ」や織田裕二主演のドラマ、漫画『三億円事件 奇譚モンタージュ』『アンラッキー・ヤングメン』、さらに人気漫画や歌まで、枚挙にいとまがありません。
未解決であるがゆえに、犯人像や動機、逃走経路などを自由に想像できる余地が大きく、そのたびに新しい解釈が生まれてきました。今回のNHK特集もまた、「犯人は誰だったのか」というミステリーとしてだけでなく、「昭和の警察とメディアをどう評価するか」「地方の記憶をどう扱うか」という問いを投げかけています。
三億円事件は、謎解きの題材であると同時に、私たちが権力や報道、人の記憶とどう付き合うかを映し出す鏡として生き続けていると言えます。
最後に、X上では「新しい事実は少なかった」という冷静な感想もありましたが、その一方で「初めて知った」「何度でも伝えないと忘れられてしまう」という声も少なくありませんでした。世代ごとに「初めての三億円事件」があり、そのたびに怒りや違和感が更新されているのかもしれません。
未解決のまま時効を迎えた事件でも、その後の語られ方しだいで、今を生きるぼくらの感情や常識を揺さぶり続けるのだなあと思わされたのだ。

この記事へのコメントはありません。