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阪神淡路大震災から31年の記憶 日常と防災をつむぐSNSの声

1月17日に話題となったキーワードは 「阪神・淡路大震災」 です。

阪神・淡路大震災から31年を迎えた1月17日、追悼や体験談、防災への決意を語る声がXに次々と投稿されています。被災地で人生が変わったという証言もあれば、生まれていない世代が「1.17を忘れない日」と書き込む姿も見られます。能登半島地震などその後の大災害を重ね合わせながら、記憶と教訓をどう受け継ぎ備えに変えていくのか。

何が起きたか

1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源とする大地震が発生し、神戸を中心に甚大な被害が出ました。6434人が亡くなり、約25万棟の家屋が全半壊するなど、日本の災害観を大きく変えた出来事です。

注目を集めたのはなぜか

発生から31年となる節目の年に、追悼行事や特番、防災イベントが各地で行われたことに加え、能登半島地震など近年の災害と重ねて語る声が増えました。「1.17」をきっかけに、改めて備えを見直す人が多くなっています。

ポイント

震災を直接知らない世代が増える一方で、体験者が語る記憶や教訓をどう「つむぐ」かが大きなテーマになっています。日常のありがたさをかみしめつつ、心のケアや災害医療、地域のつながりをどう守るかが問われています。

夜明け前の揺れから31年、当たり前の日常の重さと備えることの大事さを、改めて考え直すタイミングなのだ。

阪神・淡路大震災から31年という節目

地震発生から31年を迎えた今年も、神戸の東遊園地では「1.17のつどい」が行われ、夜明け前から多くの人が集まりました。灯籠で描かれた「つむぐ」という文字に火がともされ、地震が起きた5時46分に合わせて黙とうが捧げられています。

震災で6434人が亡くなり、3人が行方不明のままです。数字として語られる被害の裏側には、一人一人の生活と物語があったことを忘れてはいけません。今もなお、あの日を境に人生が大きく変わったと振り返る声がXでも多く見られます。

神戸市内だけでなく、当時他地域で揺れを体験した人や、後から映像で衝撃を受けた人まで、「あの朝の音や空気は今も頭から離れない」と書き込んでいます。31年という時間が流れても、体に刻まれた記憶は消えていないことが伝わってきます。

追悼と感謝を語るSNSのことば

今回集まった投稿には、亡くなった人への祈りとともに、「今も生きて日常を送れることへの感謝」を語るものが目立ちました。子どものころ親に守られたことを思い出す人、避難生活で受け取ったおにぎりの味を語る人など、それぞれの記憶が丁寧に綴られています。

「当時神戸で被災して人生が変わった」「あの経験があるから今の仕事を選んだ」と書く人も少なくありません。支援に入った側の記憶もまた、震災を語る重要なピースです。救援物資を抱えて被災地へ向かった営業社員の話や、避難所でのボランティア経験が、今の仕事や生き方につながっているという証言もあります。

そして多くの投稿に共通しているのが、「あの日から、当たり前の日常は当たり前ではないと知った」という一点です。家族と食卓を囲むこと、電気や水が普通に使えること、仕事や学校に行けること――そうした日々の風景は、いつでも失われ得るものだと、震災は教えました。

震災を知らない世代が抱く「距離」と「リアル」

Xには、「自分はまだ生まれていなかった」「記憶はないけれど、1.17は大切な日だと思う」と投稿する若い世代の声も多く見られます。親や祖父母から当時の話を聞いたり、学校で防災教育を受けたりする中で、「自分ごと」として捉えようとしている様子が印象的です。

「東日本大震災が自分世代の原体験で、阪神・淡路は歴史の出来事だと思っていた」という書き込みもありました。それでも、当時のニュース映像や記録番組を見ることで、都市直下型地震の怖さや、街が一瞬で変わってしまう現実を改めて感じているという声が出ています。

一方で、「話題にする人が減ってきたことが良いのか悪いのか分からない」「風化と、トラウマから距離を取ることの線引きが難しい」という本音も投稿されています。記憶の重さに向き合いつつ、次の世代には必要な教訓を手渡す――そのバランスを探る試みが、今まさに続いていると言えます。

災害医療と「心のケア」が投げかけた課題

今回の31年目の報道や投稿では、「まるで野戦病院のようだった」という医師の証言や、「心療内科に行くと精神病と言われるからと受診を止められた」というエピソードなど、当時の医療体制や心のケアの課題が改めて取り上げられています。

避難生活のストレスや、家族を亡くした喪失感から体調を崩し、震災からしばらく経って亡くなった人たちは「遠因死」と呼ばれます。数字には表れにくいこうした存在が、今も遺族の悲しみとして残っていることを知ることは、とても重要です。

現在は、被災地での心のケアチームの派遣や、無料相談窓口の設置など仕組みが整いつつありますが、それでも十分とは言えません。SNS上でも、「当時と比べれば進歩したが、いまだにメンタルの不調を相談しづらい空気がある」「震災のニュースを見るだけでしんどくなる人もいる」という指摘が見られます。災害の教訓を生かすということは、建物の耐震化だけでなく、人の心を守る仕組みをどう作るかという問いでもあります。

ラジオ・音楽・アートが支えた、そして今もつむぐ

印象的だったのは、当時のラジオ放送や楽曲への言及が多く見られたことです。震災直後、情報が限られる中で「いつもの声」を届け続けたラジオパーソナリティーに救われたという証言や、その音源を今も聞き返しているという投稿がありました。

また、神戸で生まれた「しあわせ運べるように」や、「満月の夕」といった楽曲に触れながら、ライブや船上の生演奏で改めて祈りを捧げたという人もいます。音楽やアートは、数字やニュースでは伝えきれない感情を形にし、世代を超えて記憶を手渡す役割を果たしています。

震災をきっかけに誕生したマスコットやイベント、防災をテーマにしたイラストやワークショップなども、31年目の今も続いています。「つなぐ」だけでなく、一人一人が自分の物語として言葉にし、形にしていくこと――それが「つむぐ」という表現に込められた願いと言えそうです。

31年目の「忘れない」は、未来の誰かを守るということ

阪神・淡路大震災から31年が経ち、当時を知らない世代が確実に増えています。報道の量は少しずつ減り、街の風景からは被害の痕跡がほとんど見えなくなりました。それでも、「1.17を忘れない」と書き込む人が毎年いるという事実そのものが、記憶のバトンが受け渡されていることの証でもあります。

震災の映像を見るのがつらい人もいれば、語ることで前に進める人もいます。大事なのは、それぞれのペースを尊重しながら、「建物を強くする」「ライフラインを守る」といったハード面と、「支え合う」「助けを求めやすくする」といったソフト面の両方で、教訓を生かしていくことです。

Xに投稿された一つ一つの声は、小さな「つむぎ糸」のようなものです。それらが絡み合い、未来の災害で誰かの命を守る行動へとつながっていくなら、31年目の「忘れない」は、単なる追悼ではなく、確かな希望の種になるはずです。

人々に与えた影響はもちろん、震災への教訓で建築基準法が改正されるなど社会の仕組みも大きく変わったのだ。

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